空港のお仕事

【今となっては笑い話】グランドスタッフのつらかった思い出ベスト3

どうも!かりあげです!

今日はグランドスタッフとして空港で働いていて「あのときは大変だったなぁ」ってことをランキング形式でご紹介したいと思います。そんなこともあるんだと気軽に楽しんで頂ければと思います。

この記事を読んでもらいたい方
◇グランドスタッフのお仕事に興味のある方
◇グランドスタッフの方

第3位:LCC元年だからこその辛さ

2012年、LCC元年に転職をしてグランドスタッフになったかりあげですが、最初のうちはLCCというシステムを理解しているお客様が少なく、大変でした。

今でこそ当たり前ですが、LCCではカウンターで受託手荷物の重量を追加するにはカウンター手数料が必要になります。この事を理解できないお客様と空港スタッフとでかなり争いました。

説明しても、ANAやJALはこうだったのになんでだめなんだと言われ大変な時期が続きました。

今改めて考えるとこの時期は大変だったなと思います。

第2位:イミグレーション前で座り込みのお客様

状況は、国際線のフライトで機内に全てのお客様の搭乗が終了したのち、整備上の理由から欠航が決まったというものでした。状況をお伝えするため機内でアナウンスをして、お客様には機内からゲートエリアに戻っていただきました。

こういった場合、一度日本から出国したお客様の出国取り消しという処理をしなければなりません。ここで問題が発生しました。

 

一部の外国籍のお客様がイミグレーション前で座り込み、さらには「&%$#&|$!#!!」と意味はわかりませんでしたが、抗議デモのように全員で同じことを叫び始めてしまったのです。

いくら説明しようが、一向に止やめません。しかもその状況を見た入管職員も我々に対して、どうにかしろと追い詰めてきます。もう地獄でした。

根気よく説得しても全然聞いてくれませんでした。

そこで、作戦を変えて、一人ひとりを少し離れた場所に呼んで『早く行かないと次の日のフライトも無くなってしまいますよ』と伝えて少しずつ再入国を促しました。

これに関しては、整備上の理由での欠航ですので申し訳ない気持ちと、正直に言うと怒りとが複雑に絡み合ってました。

第1位:大雪で徹夜仕事

あれは2014年の冬、その日は成田では稀な大雪が降りました。まぁ北海道や東北に比べたら大したことのない雪ですが。

しかし、雪に慣れている地域と違い関東は雪が降ると大変なことになります。電車や車が一気にストップしてしまいます。当然、成田空港への交通網もストップしてしまいます。

ただし、それだけなら正直大したことはありません。お客様に欠航の連絡が行き、仮にお客様が空港に来てしまっても、カウンターで欠航の旨伝えて終わりです。

大変だったのはその後です!

まだ雪が降り続く中、私の所属していた航空会社は最終便の運航を決めました。実際他社でも運行するところもあったので、その決定自体は間違いではなかったのかもしれません。私達も会社の決定である以上、お客様の搭乗手続きを開始しました。実際に空港まで来れたお客様はそこまで多くはなかったものの、数十名はいらっしゃいました。

搭乗手続きが終了して、お客様もゲートにご案内しました。CAもゲートから機内に入り準備をしていました。しかしパイロットがいつになっても現れません。

そうです、パイロットだけが雪の影響で空港に来れなかったんです!!

それにも関わらず、お客様の搭乗手続きをし、ゲートまで案内してしまったから大変でした。その日はカーフューの延長で普段より長く運航が認められていましたので、パイロットの到着を24時近くまで待ちましたが、最後までパイロットたちは来ず、お客様にお待ちいただいたにもかかわらず、その時点での欠航が決まりました。

厳密に言うと翌日の朝までの日をまたいだ遅延とすることを決めたのです。

そこからは最悪でした。翌日の朝5時までの間、ゲートで寝ずの番です。

ゲートエリアは制限エリアになるので、管理が必要となります。使用ゲート付近の一角のみの使用を成田空港に申請し、そこからお客様が出ないように両端に職員が立ってなければならないのです。しかも、真冬で空調も限定的になるので、とても寒い。お客様も大変だったと思います。当然お客様からのお叱りの声もたくさんありました。

翌日出発をしましたが、このときばかりは会社を恨みましたね笑

まとめ

かりあげ

いかがでしたでしょうか?

仕事をしていると楽しかったことや嬉しかったことはありますが、数年後振り返ると大抵つらかった話や苦しかった話で盛り上がりますよね!!

そういう話しているときが一番楽しいもんです。

これからも色々な経験をして、数年後に笑っていられるように頑張ります!!

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